「空色」初版時のトークを発掘
既刊「空色」は現在第3版です。たしか。
初版時は友情編と恋愛編で1冊、エロ編はおまけ本みたいな形で分冊で発行しました。が、再版に当たって、2冊作るのが面倒になったため、1冊に統合ということに。
その際、おまけ本にトーク部分が長々とあったので、トークはまるっと削りました。なんか、こう、gdgdと語るのもかっこわるいかなーって、そういう時代でした!笑
でも「そういうのが読みたいんだ」と言ってくださる方が出てきたので、こちらに再掲。
長いです。
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■この本、もともとはコピー本で出すつもりでした。私の煩悩を吐き出すためだけの話なんだし、そんな長くなるはずもないし、希望者にのみ配布の無料コピー本で十分だろう、と。
■しかし、本編『空色』の挿絵を描いてくださった藤本JOさん、から送られてきた原稿には、本編の表紙・挿絵とともに、『おまけ』と称して、いかにもこのエロ編の表紙に使えそうな一枚が同送されていました。電話で確認を取ったところ、「エロ編を出されるとのことで……よろしければ使っていただければと思って……でもこちらから言い出すのもあつかましいですし、ですからおまけということで……」と言うことでした。控えめで謙虚っぽいことおっしゃっておりますがこの方、とんでもないタマです。こんなハゲモエな一枚を見て私が黙っていられるはずがないではないですか。原稿を目にした2時間後には、この本がオフで出ることは決定事項でした。
■よって、この本がオフ発行になったのはひとえに、藤本さんの陰謀といえるでしょう。内容が予想に反してやたらと長くなった、というのは、理由のうえでは二の次なのです。たぶん。
■ということで、こんな本になりました。で、編集の都合でページが余りましたので、久々に同人屋くさくつまらんことをつらつらと。
《空色》
■発案&執筆スタートが02年6月、脱稿が06年2月、ということで、足かけ4年近い制作期間となりましたこの本(実際の執筆時間は半年程度ですが)。うろ覚えですがたしか、「幽助と蔵馬が人間社会で人間としてであったらどうなるのかな?」などということを考えながら、構想を組んだ気がします。
■原作で幽助は、筋金入りの不良であったところ、一度死んだことをきっかけに人間界ではない世界に触れ、それを足がかりにして成長してゆきますが、もしもあそこで死ぬことなく、人間として生き続けていたら彼は、ずいぶんと暗黒の道を歩き、ずいぶんと陰惨な人生を送ることになったのではないか、と考えています。そして、どういう人間であれば、彼をもうちょっとまともな道に引き戻せるか。どんな人間になら彼は心を開くのか。そういうのを模索してみました。
■カップリングという枠組みを取り外して、それでも私が幽助のパートナーに、ほかのだれでもない蔵馬を選んでしまうのは、蔵馬がとてつもなく受け入れ枠の広い個性を持っているからです。別作品でも主張済みですが、この時期の幽助には、彼を受け入れ受け入れ、認めていつくしみ、無条件で愛してくれる対象が必要なのだと思っています。それには残念ながら、螢子ちゃんや桑原くんでは、すこし足りない気がする。資格なし、というわけではありませんが、彼らではあまりに若すぎるのです。本当は、温子さんがもっと母性的なお母さんだったら、それがいちばん正しい姿なのでしょう。ですがあの母子の環境では、温子さんが母という役割に徹するのは難しいのかもしれません。幻海師範がそばにいれば、それでも良かったかもしれません。とにかく、「おとなの女性の放つ母性」を幽助に与えてあげたかったのです。そして、なぜだかそれに類するものを持ち合わせていたのが、蔵馬であった、と。2千年も生きてずいぶん丸くなったうえに、他人に合わせるのがとてつもなく上手い蔵馬が幽助と接したら、なぜだか母性に近いものが生成されてしまいました、と。
■そういう能書きをたれつつも、とにかく、幽助ってこんなにかわいい、かわいい、かわいい子なのよーと激しく主張したかったわけですが。蔵馬に関してはこのさい、幽助を描く、クローズアップさせるためのコマに徹してもらいました。このひとに関しては、「人間界で、自分ではとっても上手に人間のなかに馴染んでるつもりで結局失敗しているのに自分ではそれに気付いていない」姿が書けただけで、満足です。
■基本的には、カプを問わず、幽助のことが好きなひと、幽助と蔵馬のコンビが好きなひとに楽しんでいただけると良いな、と思いながら書いた一作です。そして、幽助にあまり関心を持っていなかったひとが、今までよりもすこしだけ、幽助に関心を払うようになったり、幽助の魅力に気付いてくれたらいいな、とも思います。幽助はとても魅力的な子なんですよ。南野じゃないですが。私のそんな思いが、読んでくださった方に、すこしでも届いていればいいな。
《空の彼方》
■そういう、「みんなに読んでもらいたい」という自分の思いすら裏切って、結局書いてしまい、同じ本の中に収録してしまったカプ編。幽助は私の支えですが、幽蔵は私のカルマです。すみません。
■最初はこちらこそ、適当に書き散らしてコピー本にするつもりだったのですが、書きたいシーンを挙げられるだけ挙げてプロットを組んでみたらどうしてか、一本の話になっていました。書いてみたらどうしてか、本編である友情編より長くなってしまいました。カルマです。こちらは執筆は2ヶ月と、本編よりもはるかにぶっとばしたみたいです。まったくカルマです。
■こちらはとくにコンセプトもなく、ただ萌えが走るままに書いてゆきました。「秀たんのにおいのする布団でオナニーさせたいな」とか、「ともだちなのに恋心が暴走しちゃって「友達でいてくれ」って泣いちゃう幽助ってかわいいよな」とか、その程度だったはずです。カルマです。すみません。
■ところで、幽助が蔵馬(秀一)に恋したのは、前述の「母性らしきもの」がきっかけでしたが、その母性が恋愛を継続させる動力になるかというと、ならないと私は思います。相手がママのままでは、しょせんは依存にすぎないですものね。楽園シリーズの幽助は結局、この点で、蔵馬さんのかたくなな精神に屈してしまったわけで。ですからこの恋愛編で、蔵馬をいかにママの立場から引きずりおろし、恋というエゴイスティックな感情に巻き込むか、というのは、ひそやかな試みのひとつでありました。この点に関しては正直、勝ち目は薄いと思っていました。あいかわらず、蔵馬のこころはかたくななままなのかと。けれど幽助は大健闘、私の予想に反して見事勝利を勝ち取ってくれました。おとなすぎるほどおとなな蔵馬には、おとなの理論で攻めるより、子供の幼い純朴さ、いたましいまでのまっすぐさ、のほうが、心に刺さるのかもしれませんね。……楽園の幽助は、背伸びしすぎたのかもしれないですね。がんばれ、カルマ。
■書いててとにかく快感でした。私もしょせん、恋愛話が好きな女だったようです。幽助の若さに、新鮮な恋愛に、思うぞんぶん巻き込まれさせてもらいました。ラリってるなーと思いながら、そのラリりっぷりに、さんざん萌えさせてもらいました。私情ですが、私もこんな恋がしたかったんだと思います。私もこんなふうに、若さに振り回されながら、激しく愛し、愛されたかった。私のそんな色恋に対する夢を、彼らは叶えてくれたように思います。ありがとう、私のカルマ。
■どうでも良いのですが、うちの本には珍しく、幽助が幸せな、良い終わり方をしたお話ですね。紆余曲折ありながらも笑いながら終われる、というのは、なかなかに幸せなことですね。話としても、最後の最後に突っ込んだフレーズで、上手く「空色」とつながったように思っていますし。大団円てやつか。カルマばんざい。
■私はカルマが大好きです。
《Thousand Kiss》
■はじめは「Between the Sheets」とかいう、明らかにエロが主体のタイトルだったんですが、なにやらチューばっかりしとるので、改題してみました。というか、エロ主体だったはずなのに、最後の最後で意外とそうでもなくなったというか。
■ところで「彼方」のほうでも思ったのですが、さりげなく過去作品にリンクしている部分がいくつかあって、ちょっぴり感動です。チューばっかりしたがる幽助は、過去に書いた「口唇期なんだよ」というシーンを彷彿とさせますし、「空の産道」というフレーズで一本書いたこともあるし。時間が経っても、根底にあるものは同じなんだな、と思わされるのでした。
■エロ編です。あまりエロくないやん、と思う方がおられても、私にはこのうえもなくエロ編です。私自身はべつに隠すこともなくエロ女です、オープンすけべえです、しかし考えてみれば、モロエロなものはほとんど書いたことがありませんでした。というのは、私にとって、ストーリーを書いてゆくうえで、エロはしょせんエロにすぎないからです。エロには萌えるけど、多くの場合、エロでは私の書きたいことは達成できないのです。だから今まで、エロはなくなく削ってきました。でも今日は、「空色」本編自体からしてパラレルな企画話だし、せっかくだからパラレルのさらにパラレル、三次創作みたいな気持ちで遊んでみよう! と、書いてみることにしました。……藤本さんにそそのかされたところも大きいのですが。彼女は魔性です。魔性。
■で、ふたを開けてみたらこんなことになりました。こんなP数になりました。エロを求めてやまない諸姉がどう思われたかはいざ知らず、私には満足な出来です。私は正直、BLは苦手ですし、BL特有の単語や表現も好きでないものが多いです。それらの苦手な要素をどう排除しながら、けれどぼかしすぎず、さかれるエロを書けるか、というのが、この一作における課題でした。ほかの方はどうだか知りませんが、私はこの自分の書いたもので抜けます。
■そして、三次創作だと割り切って、いろんなドリームを突っ込みまくってみました。基本的にリアルを求め、ありえないことは作中でもさせないほうですが、こちらはいくつかのありえないことも許しました。リアルに拘泥するよりは、「作品世界にひたれる」ことを重視したというか。おかげで少なくとも私にとっては、大変良いものができたと思っています。
■それから、これは思ってもみなかった効果でしたが、この「三次創作」を進めてゆくなかで、もともとの作品を客観的に見ることがでたためか、「空色」「彼方」に足りない部分、書き足さねばならない部分、などが数多く見えてきました。また、私自身も気付いていなかった、キャラたちのなかにあったもの、キャラたちがもっと表現したがっていたこと、そのようなものも。自分の欲望を満たすためだけの作品のつもりでしたが(笑)、これは本編の充足にもつながったと思います。
■幽助が何度か、サドだのなんだのと言われていますが、うちの幽助、妙にSM的な指向性を示します。書き手の趣味だと思われそうですが、蔵馬などはまったくその傾向がないようなので(ノリノリになるひとではあるんですが)、幽助特有の嗜好のようです。たしかに、幽助の性質をひもといてみるとそういう要素もある気はしますので、うちの幽助はサディズム・マゾヒズムの徒なのかもしれません。……楽園の幽助も、もしかして、蔵馬に虐げられながら、それが必ずしもいやでなかったのかも、と思わないでもないです。虐げられ、虐げることで、相手とのより深いきずなを感じる、というか。
■最後の話だけ、ちょっとカラーの違ったものになってしまいましたが。蔵馬の告白は、「彼方」のほうに組み込むべきだったかなーと思いつつ、「空色」「彼方」は『幽助の話』である、というスタンスを貫きたかったために、蔵馬側の事情は無視しました。筆にまかせました。この独白が結局、このエロ編という、本来私のがらではないものを書くうえで大きなモチベーションとなったあたり、私はやっぱりエロだけでは物足りないのかもしれません。
《藤本JOさん》
■「空色」のあとがきにも書きましたが、私は今まで、自分の書いたものに絵をつけてもらいたいと思ったことがありません。私にとって好ましい、私の書く話の印象にそぐう描き手さんに出会えなかった、ということもあるし、私の書くものに対して視覚的なイメージを持たせたくなかったから、ということでもあります。質の高い文章には絵など不要だと思っているし、絵がなくてもぐいぐい読み進めたくなるような、そんなものを私は書きたいからです。
■そのような意図に反して、今回初めて絵付きの本を出したのは、藤本さんというひとに出会ってしまったからです。といっても、彼女の絵を見たそのときから、彼女に絵を描いてもらいたい、と思ったわけではなくて、彼女の絵を知り、彼女自身を知り、またおりにつけ見せてくださる幽助像、蔵馬像を知り、私の書くものに向けてくださる情熱を知って、このひとに一作、お願いしてみたい、と思いました。
■今回私は、彼女に対して一切、こちらの思惑を伝えていません。作品内容に対する打ち合わせはかなり綿密にやりましたが、どこのシーンをどんなスタイルで描くか、は、彼女に丸投げしました。今考えれば無責任というか、荷の重いことをさせてしまったかな、とも思いますが、そもそも、すべてを預けても良い、ぐらいの気持ちでないと、挿絵などおまかせできないです。私は。
■そしたら、あのような、私の期待以上のものが送られてきたわけです。や、あえて私が言わずとも、挿絵の数々のすばらしさは本を手にとってくださったみなさまがいちばんよくご存知でしょう。
■なーんて冷静ぶっこいて書いてますが、原稿をいただいたばかりの頃の私がすごかったですよ。身も世もなく声をあげてしまいそうになったり、原稿抱いて転がりまわりそうになったり、衝動的に藤本さんに電話したり、彼氏に自慢しそうになったり。あまりに手放すのが惜しくて、クリアファイルに入れて肌身離さず持ち歩き、ひまがあれば眺めてニヤニヤしてました。面付けで原稿が傷むのがいやで、印刷所に送りたくもなかったほどです。いやあ、挿し絵を入れてもらう、しかも好きな作家さんから、というのは、快感なものですね! たまらん。
■ということで、このトークページはじつは、私がしゃべりたいからというよりは、藤本さんについて語り倒したいがために、強いて作ってしまったコーナーです。いただいておきながら使わなかった(というか作品にて使わせてもらえなかった)絵もどっかに飾っておきたかったし。あーもうやばいよー、ちんこたっちゃうよー。
■どれもこれも素敵なイラストなのですが、あえて好きなのを挙げるとしたら、空色裏表紙の蔵馬がいちばん好きです。これは、見た瞬間に、「これぞうちの蔵馬!!」と思ったような、とても良い表情をしておられる。私の蔵馬のイメージというのは、『慈母』なのです。笑ってもいーですよ。ニコニコしていて、穏やかで泰然とした、どんなわがままも受け入れてしまい、応えてくれる、慈母。幽助といるとき、蔵馬はそういう顔をしていると思っています。その次は、表紙の幽助と、「Thousand Kiss」の表紙のふたりが同じくらい好きだな。とくに後者は、なにも打ち合わせしていないのに、内容と非常にシンクロしているように思えますねー。ハァハァ。あと、異世界にいる幽助が、これがもう……酒浸りになってる幽助、これもまた……出会った頃のぶっそうな表情の幽助ったら……要するにどれもこれも素敵ってことです。あひゃひゃ。
■ところで、藤本さんはとんでもねえことに、原稿と同時に原画までくださいました。こんなのは描いた当人が持ってるべきだ、と思いお返ししようとしたのですが、「いずれ捨てるんで~」などとおぬかしくださったので、私がつつしんでいただいとくことにしました。末代までの宝にします。
■……しかし、藤本さんのイラは私には、ほんとヤバイくらいの燃料投下でした。アッパー系の、たった一度で中毒してしまう、麻薬のようでもありました。もしかしてまたいずれ、彼女の挿絵見たさに、一作描くかもしれません。藤本さんがまた引き受けてくださるかどうかは別として、私の正直な気持ちです。……そのときには、今回は名前も出せなかったあのひとを、もうちょっとたくさん描ければなと。分かりませんが。
■長々と書いてまいりましたが、締めくくりらしきものを。
■今回、私は自分の書いたものに非常に満足しています。書き上げからそれなりの時間を取れたことや、藤本さんという客観の目を得られたこと、またいつになく何度も読み返して校正と書き足しに力を入れたこと。そして、ずっと書きたかったテーマを書くことができたこと。この空色三部作(?)は、私が今まで書いたもののなかでもより完成度の高いものになったことと思います。
■ずっと黙って待ってくださった方、ありがとうございます。手にとって、なんらかの感動を覚えてくださった方、ありがとうございます。なんらかの形で読み手さんの心に残るものになれれば、なにより幸いです。
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