【H×H】首
1本だけ書いたHUNTER×HUNTERの二次創作。
ネオンちゃんのお話です。
※グロテスクな表現があります、注意。
あたしはママの顔を覚えていない。どんなに一生懸命思い出そうとしてみても、ママの顔は薄い影に覆われていて、ひどくのっぺりして見える。だってママはいつだって明るいところに背を向けて、小さなあたしを抱いていた、あたしが見上げるママの顔はいつでもうすぼんやりと頼りなかった。だけどママについて覚えていることだっていくらかあるの、ママの髪は銀色ぐらいに色の薄い金色で、さらさらととてもなめらかで、ママは手も足もひどく細くて透けそうに青白い肌をしていて、いまにも消え入りそうな細い声でいつもあたしにいってたの、ねおんちゃんずっとずっとままのそばにいてね、ママはあたしに何度も何度もそんなふうにいったのよ。
この屋敷にいったいいくつ部屋があるのかを彼はすでに記憶していない、先代から受け継いで以来もはや幾年、古びた屋敷は改装と増築を繰り返し、数少ない家人のための居室のほかに、いつ訪れるともしれぬ客人のための娯楽室なども無数、それは象牙のチェステーブルがひとつたたずむ部屋だったり、大理石の撞球台がずしりと居座る部屋だったり。そしてこの屋敷の主たるライト・ノストラードは、未だかつてその部屋たちの扉を自らの手で開いたことがない、彼のまわりに常に影のごとく寄り添う黒服の男たちが、音もなく彼の行く手にまわり、目指す扉を開くからだ。彼の屋敷のあらゆる扉は彼の行く手を阻まない──たったひとつの扉をのぞいては。そして今日もノストラードは、その唯一の例外を自らの手で押し開ける。
たきしめられた甘い香、その底によどむようにつんとかすかに漂う薬品のにおい。空調は滞りなく稼働して、室内はふうわりと暖かいというのに、いつもざわりと肌が粟立つ、室内は暗く、至るところに青い照明に浮かび上がる水槽、だが彼の感じる肌寒さはそれらの色合いの織りなす視覚的要素のみではあるまい。水槽の中に泳ぐものは、色鮮やかな熱帯魚ではなく、皮膚の全面が鱗に覆われた人間の皮膚だったり、獣の顔をしたヒトの胎児だったり。ホルマリンの宇宙のなかにまるで永遠のように漂っている。それらは同じくヒトであるノストラードにはあまりにおぞましいものであったが、同時に、厳密に計算された照明の効果に照らされて、ひどく透明でひどく繊細で、ひどく美しいものに見えもする、そしてまた、美しいと思う自身にゾッとする。この部屋に長居はできないとまた思う。奥へ進むと、気配を感じ取ったのか、「パパ?」と呼ぶ声がして、若い娘の汚れを知らぬ甘い声、歩みを進めると視界が開けた。明るい。目をすがめる。部屋の中央のわずかに穹窿状になった天井に、白い照明が取り付けられていて、中央に置かれた水槽を照らしていた、なかは空。その脇に大きなソファが置かれていて巨人が座るよう?それに若い娘が埋もれていて、うっとりと水槽を見上げている。ネオン、彼の数多い子供たちのうちのひとり、そして彼の生命線を握る愛しい娘。
「珍しく、照明は白にしたんだな」
「うんそうなのぉ」娘はきゃらきゃらと笑った。「でも、絶対に色落ちしないやつ使ってんだよぉ、ちゃんと気ィ使ってんの」
どこか舌足らずな言葉遣いをする彼女は年齢よりもいくぶん幼く見える、くるくるとよく動く大きな瞳、透ける乳白色の肌、薔薇色の頬に白銀に近い金の髪がいくらかこぼれ落ちて、彼の娘は美しかった。彼女は彼の屋敷の一番奥に大切に隠された、瑕ひとつつかぬ姫君で、しかしこの娘は気狂いだ。
「あのねぇ、この水槽のなかに、『緋の目』を飾ろうと思うんだ、『緋の目』知ってるよね、クルタ族っていうひとたちの目ん玉くりぬいたやつだけどさ、それっておめめが真っ赤でその赤がすんごくきれいなのね、だったら青い照明じゃだめでしょ、赤がきれいに見えなくちゃ。だから明るくしてみたの、ねえ、きっときれいだよね、パパぁ?」
彼の子供たちのなかにはほかにも、さまざまなものを蒐集しているものはいる、この屋敷の一隅には、所狭しと銃が飾られていたり、名だたる画家らの絵がずらりと並ぶ美術館のような部屋もあったり、あえて贋金を集めているようなものもいる、だが彼女のような者はほかにはいない、人間とは思えぬ歪な人間を水槽越しに愛でる娘は。場合によっては自身もまた、この水槽に漂うモノになりうることを、彼女は考えたことがあるだろうか? そしてまた、蒐集家にはありがちな蒐集仲間を彼女は持たない、彼女のコレクションの観客は、唯一父たるノストラードだけだ。
「『緋の目』ってね、すーごく難しいらしいんだけどさ、ぜったいぜったい手にいれるんだあ、ほかにもほしいもんいっぱいあるけど、いちばんほしいのってじつは緋の目でさあ、これが部屋の真ん中にあったら、ほかのもんがすっごく引き立つよーな気がするのぉ」
ノストラードは、人間の人格や、それが形成される段階などには興味がない、いま現在の形のそれと付き合うだけだ。だが、そんな彼もときには思わずにはいられない、この娘の心の中は、いったいどんな作りなのだろう、どうしたらこのような娘ができるのだろう、と。この娘の母親は、まるで影のようにおとなしい女だったはずなのだが。そのようにしてしばしば自分の娘に畏れをいだきながら、彼は娘を手放せない、この無邪気でおぞましい性癖を持つ娘あってこその、彼のいまの成功なのだ。……そういえば、ふと思い出す、この娘がその能力を初めて発揮したときというのは、彼女の母が首を吊って死んだすぐあとだったか。
少女はソファの上で黙りこみ、どうやら今日の彼女は父に新たに作った水槽を見せたかっただけのようだった、もう良いのか、と問うと、うんもぉいいよォと甘ったれた声を出した、彼女はまたうっとりと水槽を見上げはじめて、その中にいずれ漂うことになるのであろう美しい獲物に思いを馳せはじめた。そんな彼女のとなりで、いつまでもここにぐずぐずしているならば、仔猫は鋭い牙をむき、早く出てゆけと毛を逆立てるのだ。
部屋を出ようとして彼は、林立する水槽の谷間に忘れられたように無造作に転がっているなにかに気付いた、靴の先で引き寄せてみると、ひからびたヒトの首のようだ、それほど古くはないが、ほこりにまみれてひどく汚い。水気が抜け落ちてパサパサであるが、髪は長い銀色のようだ。秀でた額やわずかに残った首の細さから察するに、女のそれであろうか。彼は娘を呼んだ。
「ネオン、なにやら首が落ちているが、おまえのものか?」
もっとも、ヒトの首を大切に保管するような人物は、この屋敷では彼女くらいのものだったが。少女はのろのろと振り返り、父の足元の首をちらと一瞥して、愛らしいピンクの唇を尖らせた、
「知らなぁい、あたしのなのかなあ? なんか見覚えないんだけどぉ……んー、そこに置いといて、またこんど鑑定してもらうからぁ」
彼女の気のない返事に、ノストラードは首を元の位置に靴先で押し込んでから、静かに部屋を出た。
あたしはママを覚えていない、たぶんパパも覚えていない、だってママはもの静かでひっそりしてて、そこにいるのかどうかもよく分からないひとだった。あたしはママの顔も覚えていないけど、ママがあたしをいっぱいだっこしてくれたことは覚えてる、ママはいつも青ざめていて、だけどママの体はあったかくて、それから、それからもうひとつ、ママがあたしを見る目はいつも、ふんわり優しかった、ママは良く泣くひとだったからママの目は、うさぎみたいに赤かったけど、ママがあたしを見る目だけがずっと忘れられない。ママはいつもあたしにいったの、ねおんちゃんずっとずっとママのそばにいてね、あたしはママが大好きだから、ずっとずっとママのそばにいようっていつもいつも思っていたの。
〈了〉
2000/11脱稿
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